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掲載日:2012.07.16

青年海外協力隊 現地レポート 兼子千穂さん/ザンビア/獣医・衛生

氏 名: 兼子千穂

派遣国:ザンビア

職 種:獣医・衛生

隊 次:H23年度1次隊

派遣期間:2011年6月~2013年6月                                   

酪農学園大学出身研究室: 獣医学部 獣医公衆衛生学教室

卒業・修了年月: 2009年3月卒業

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Q1 参加しようと思った動機は?

子供のころからアフリカの自然や動物、そこに住む人々の文化などに興味がありました。サバンナに暮らす動物を題材にしたテレビ番組などは欠かさず見て、その映像に興奮しアフリカに思いを馳せていた記憶があります。また、中学生くらいの頃から、将来の仕事として漠然と世界を舞台として多くの人の役に立てるような、地球規模の問題について向き合う仕事をしたいと考えていました。

卒業後、家畜診療所で働いていましたが、いつかは海外で働きたいという思いは強くなる一方でした。アフリカの自然や文化に憧れる気持ちと、漠然と多くの人・動物・環境のために役に立てるような仕事をしたいという気持ちを持っていた自分にとって、青年海外協力隊は二年という期限はあるものの、そのような環境で本当に自分はやっていけるのかと自分を試す意味でも、とても魅力的なものでした。

 

 

Q2 派遣国での活動、生活、エピソードなどを教えてください。

 

わたしはアフリカ南部の内陸国であるザンビア共和国に獣医・衛生という職種で派遣されています。ジンバブエとの国境近くにある世界自然遺産ヴィクトリアの滝を擁するリビングストン市に続く幹線道路を首都・ルサカから車で3時間ほど下ったところにあるモンゼという街に住んでいます。ここ南部州はザンビアで最も家畜飼養頭数が多い州であり、農村部に見られる家庭規模での家畜飼育から大規模な肉用牛フィードロット農場や機械化されたミルキングパーラーで搾乳を行う集約的酪農場まで様々な形態で家畜が飼養されています。また、コーヒー、サトウキビなどの農産物の大規模農場も発達し、発展途上のザンビア農業を大きく支えています。そんな農業地帯にあるZambia College of Agriculture – Monze(モンゼ農業学校:以下ZCA)がわたしの配属先です。この学校で家畜の疾病やその治療・予防法と家畜福祉などについての講義を担当しています。

 

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【構内は緑にあふれている】

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【木々の中を通って授業へ向かう】

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【南部州にある大規模肉牛農場】

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【南部州にある大規模酪農場 ヘリンボーンパーラーで搾乳が行われている】

ZCAは農業一般に関する授業を行うCertificateコースと、それよりやや専門的な授業を行うDiplomaコースの2コースを有し、それぞれ2年間で修了します(Diplomaコースは2011年度入学の学生から3年間の過程になりました)。日本でいう専門学校または短期大学にあたります。生徒数は全体で300名程度、前述の長期コースの生徒たちの休暇中に行われる短期コースの受講者も合わせるとさらに多くなります。生徒は、農作物に関する科目や、家畜の飼養管理に関する科目、農機具・農業用施設に関する科目など、農業全般について幅広く学びます。

 

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【Diplomaコースの生徒たちと】

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【Certificateコースの学生たち 自習中】

今学期(2012年3月~6月)はDiplomaコース2年生に『家畜の健康と福祉』という科目について、週3コマ(1コマ50分)の講義と週1回(2時間)の実習を受け持ちました。今学期教えたクラスの生徒数は27人で、みんなわたしより年上の30代~50代。前学期は、Certificateコースの2年生に家畜の病気に関する科目を担当していました。Certificateコース2年生は多くが20代前半~30代で、120名ほどの生徒がおり、1クラス約60名、2クラスに分かれて授業が行われます。授業は週3コマ×2クラス(合計週6コマ)と隔週で毎日実習を持っていました。前学期は、着任したばかりで生活に慣れることと授業の準備をすることに多くの時間を費やしました。また、授業において英語で専門的な内容を説明することにも大変苦労しました。現在もその苦労は続いていて、日本にいたころから着実に英語力を伸ばしておくべきだったと痛感しています。

私の講義では免疫のしくみや微生物の分類、消毒法やそれぞれの病気の各論、様々な畜舎構造についての紹介や畜産物の評価法、環境と健康のかかわりなどについて教えています。酪農学園大学の科目でいうと「衛生学」や「感染症学」、「動物行動学」というところでしょうか。実習では動物の保定の仕方、注射の仕方、薬の飲ませ方、一般臨床検査の仕方、採血の仕方などについて教えています。ザンビアでは獣医学部のある大学は一つしかなく正規の獣医師の数が不足しているのが現状のようで、家畜の所有者はある程度の処置は自分たちで済ませられるよう、より実践的な技術が求められます。

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【直腸検査を実施中】

ZCAは農業全般を教える学校ですので、それぞれ専門の違う講師が30名程度います。他の講師が受け持つ授業も、熱帯ならではの授業もあって大変興味深く、時間がある時には、わたしも生徒に混じって他の講師の実習に参加させてもらっています。バナナの栽培方法についての実習や、養蜂の実習、肉牛の除角や去勢の実習などです。肉牛の実習では、日本の肉牛の扱い方とアフリカの肉牛の扱い方の差に大変驚かされました。日本では肉牛の成牛のほとんどは鼻輪を装着されているのでロープで扱われることにも慣れており従順です。しかしこちらの肉牛は、鼻輪などは装着されておらずロープで扱われることはおろか人が近づくことにさえも慣れていません。ひとたび彼らに近づきすぎると角を振りかざして向かってきます。しかし実習ではそんな肉牛を木の棒一本と麻のロープ一本で捕獲してからなおかつ素手で牛の耳を把持して保定する実習が行われ、生徒たちは生傷を作りながら技術を習得していました。

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【乳牛用の固形飼料をつくる実習】

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【除角実習】

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【養蜂実習】

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【生徒の学外見学で大規模酪農場を訪ねる 同僚たちと】

時折、付属農場で病気の家畜の診察も頼まれます。付属農場の衛生管理の状態は、消毒槽が干上がっていたり、そこら中に有刺鉄線が落ちていたり、牛はダニまみれだったりと、お世辞にも良いとは言えませんが、それも徐々に改善していけたらと思っています。発生する疾病は熱帯特有のものも多く、たいへん興味深いです。もっとも多い疾病はダニが媒介する感染症のようです。こちらでは、日本ではあまりみられない疾病も多く存在するので、疾病予防のために牛には炭疽病や気腫疽、出血性敗血症、口蹄疫などに対するワクチン接種を行っています。特に口蹄疫のワクチン接種については、ザンビアは口蹄疫の常在国なので、ZCAでは年一回全頭の牛に予防接種を行っています。そういうところにも日本とは違うアフリカの家畜飼育の実状が反映されていると感じられます。

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【モンゼ郡の獣医師により口蹄疫のワクチン接種について説明を受ける生徒たち】

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【対象となる血清型はSAT1・SAT2】

ZCAはモンゼの街の中心地から東にさらに7㎞ほど、トウモロコシ畑と放牧地に囲まれたデコボコ道を辿ったところにあります。ZCAの校舎の周りを、講師や事務スタッフまたは生徒などZCA関係者が住む集落が取り囲み、一つの“村”ができています。私も事務スタッフが住む集落(コンパウンド)に一軒家を借りて生活しています。スタッフコンパウンドでは家の大きさ・間取りにもよりますが、スッタフ一家族と時には下宿の生徒が一緒に生活し、多い時では子供と生徒含め合計10人もの人が一つ屋根の下で暮らします。わたしの場合は一軒家を贅沢にも一人(と猫一匹)で使わせてもらっています。幸い電気や水道のある環境ですが、停電は頻繁で、水道は一日2~3回、一回につき数十分間~1時間程度だけ水が出るようになっています。普段から大きなポリバケツに水を溜めておきますが、炊事や洗濯はできるだけ水が出る時間に済ませてしまいたいので、生活リズムは水が出る時間を中心に回ります。自分の都合のいい時間を選んで好きなように生活スタイルをアレンジできた日本の生活を思うと、たまに不便を感じることはあります。しかし、自然や周囲の環境に自分の生活リズムが動かされているのはどこか生き物の本源的な気がして、不思議と嫌気が差すことはありません。また、ZCAは街から離れた環境になっており、ZCAが作る“村”に住む人々はみな顔見知りで大きな一つの家族のように暮らしている印象を受けます。

 

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【雨季のモンゼ】

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【アフリカの女性は逞しい】

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【朝焼けに染まるサバンナ】

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【隣人に日本食をふるまう】

Q3 帰国後の進路は?

未定です。

しかし、こちらにきて、人の繋がりや巡り合わせというものをとても意識するようになりました。いろんな物や人からたくさんの影響を受けて、それが自身の考え方をより洗練されたものへと導いて行ってくれているような気がします。そうして考えてやりたいことに向き合っていくことで、自分を一生輝かせる仕事に巡りあいたいと思います。

 

Q4 酪農学園在学生へ。

今、日本の学生には「学校で学ぶ」ということはごく当たり前の日常の一部、人生において自分では何も意識しておらずとも当たり前に与えられる権利となっていると思います。ここザンビアでは、「学校で学ぶ」ということは当たり前のようには手に入りません。ZCAに通う学生たちは、決して“裕福”とは言えない家庭で育ったであろう生徒が大半です。ですので、学費を納めるために切り詰めた生活しています。高校を卒業してすぐこの学校に入学できる生徒はまだ恵まれていて、高校卒業後すぐに大学に入学したくとも学資が出せない人は、一度社会に出て働いて自分で学資を稼ぎます。もしくは、自分の働いている会社・省庁に学資を援助してもらうケースもあります。また、高校卒業してすぐ社会に出たものの、安定した職が無く何か資格をとろうとこの学校を受験する人もいます。Certificateコースを卒業した後、すぐにDiplomaコースやさらに上級の4年制大学に入学できる生徒もいればそうでない生徒もいます。再び働いてから改めてDiplomaコースを受験する生徒も多いです。ゆえに、Diplomaコースの生徒は10数年前にCertificateコースに通っていて、その後一度働いて学資を貯めたのち(もしくは勤め先に学資を援助してもらって)、今現在Diplomaコースに通っているという生徒も珍しくありません。そのような生徒は私よりずっとずっと年上です。

しかし、だからこそ、みんな、とても一生懸命に勉強します。日本の大学から比較すれば考えられないほどの狭い教室、デコボコの黒板、ボロボロの机、停電は頻繁で夜はろうそくの灯で勉強するという生徒も。それでも、生徒は、「将来留学したいから」、「将来○○になりたいから」、「卒業したら、もっと上級の4年制大学を受験したいから」といって、熱心に勉強します。ここでは「学ぶ」ということは、自分が望み、それをかち得るために努力をしなければ手に入らないのです。そして生徒たちは自分の力でかち得た“学生生活”を謳歌しています。

「当たり前」に過ぎて行った自分の学生時代。広くて明るい教室、各机に一台の綺麗なデスクトップ画面、大勢の教授陣、きれいで実用的な有り余るほどの文房具、こんな環境で学べることを、もう一度意識してみてください。そして、今ここで学んだこと、出会った人、感じたこと、考えたこと、一生懸命に取り組んだことが、みなさんの未来を作っていきます。酪農学園大学で過ごしている今この一瞬を、大切にしてほしいと思います。

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【生徒たちは切り詰めた生活の中、学生生活を謳歌している】

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【太陽が沈むまでボールを追いかける】

私が派遣された23年度一次隊は、ちょうど東日本大震災が起きて約一か月後に派遣前訓練が始まり、まだ瓦礫に覆われた被災地が数多く残る中で、震災後初めて任国に派遣されていった隊次です。多くの隊員が訓練中、「今、日本を離れるのか」という葛藤や「なぜ今、混乱の中にある日本に向けてではなく他国へ向けてのボランティア活動なのだ」という問いかけを胸に抱いていました。私自身、震災の影響が残る岩手の職場を後にし、甚大な災害に見舞われている故郷福島を離れることができるのかと、もともとの心配性な自分の性格も手伝って、どうしても後ろ髪ひかれる気持ちが拭えないまま出国の日を迎えました。しかし、ずっと胸に焼き付いて残る光景があるのです。震災後、特に住居に損壊などの被害はなかったものの、ライフラインの寸断からしばらく避難所に身を寄せていました。その時、大きな余震が起きるたびに悲鳴やどよめきが上がっていた避難所で、ついにテレビが導入されて画面が点灯した瞬間の人々の大きな歓声と割れんばかりの拍手、その画面に映し出される「各国の政府・団体等が次々と日本の支援を表明、発展途上国といわれる国々からも多くの支援」と伝えられたニュースに、日本という国と私の故郷そして私たちはこの先どうなるのかと案じていた心が一気に熱くなり、全身に電気が走ったようにその力強いニュースが自分の体を伝わりました。鳥肌が立ったように全身がぞくぞくしたのを覚えています。世界と日本の、世界と自分の一体感を感じた瞬間でした。あの時日本が世界の多くの国々から支援された背景には、日本政府と各国政府の直接の繋がりの他にも、長い間にわたり草の根的に世界各国で活動を繋いできたJICA・青年海外協力隊員の存在も小さくないと言われています。日本で生活していると、ニュースで世界各国の動向を把握できたとしても、なかなかそこに臨場感を感じることは少ないと思います。なぜなら、私たちは四方を海で囲まれた治安も経済の土台も世界でも最も安定した国の一つに住んでいるのです。宗教についても民族についても、それらについての深刻な問題を抱える他の多くの国々に比較すればそれほど複雑ではありません。ゆえに、生活の一つ一つの事柄の裏側にある日本と世界の繋がりを自分自身で注意して意識しなければ、それを現実味を帯びて感じることは難しく、また、例え自国と世界との繋がりをリアルに捉えられなかったとしても日本では生きていけてしまうのだと思います。

メディアを通して映し出されるアフリカも、アフリカの「リアル」なのだと思います。青天白日と一望千里の雄大な自然、民族衣装をまとい軽快なリズムにのって踊る人々、泥だらけの服で元気に走り回る子供たち。そしてアフリカが抱えているといわれている食糧問題やエイズ問題、環境問題、難民問題、情勢不安などが日本のメディアでもクローズアップされたりしています。実際に、アフリカにはそのような光景が広がっていますし、そういったメディアはアフリカの人々が持つ一面をとらえていますし、先に挙げたそれらの課題は実際にアフリカ諸国がそれぞれ直面している課題なのだと思います。

しかし、メディアには映し出されない部分の「リアル」なアフリカもここにはあります。ザンビアでは長年にわたる先進国からの開発・援助により人々が援助されることに慣れ切ってしまっているという話はよく耳にします。

さらに、先進国や国際機関からの発展途上国への援助が、しっかりとニーズに合致して役立てられているケースもあれば、ニーズに合わない支援がなされ資金や物品がうまく利用されていないケースも少なくありません。そしてそういった“援助がうまくいかなかった事例”は、援助する側の国や組織ではあまり把握されていないのも事実なようです。

もちろん、こういった話だけがアフリカやザンビアのリアルな姿だとは思いませんが、また美しい部分だけがリアルな姿だとも思いません。どちらも「リアル」で、美しい部分もそうでない部分もあって初めてそれが「リアル」で、そしてその「リアル」は自分自身の目で見、心と体で感じなければ“リアル”に自身の中に染み入ってこないのだと思います。

 

「失敗が悪いのではない。目標の低さこそは罪悪だ。」

本の一節にあった詩人ローエルのこの言葉は、何もかも思い通りにいかない、日本のようにスムーズに事が運ばないこの国で活動する際に、挫けそうになった時に力をくれます。文化の違い、環境の違いによって、高い目標や信念を固持することが難しく思えることもあります。しかし、本当に求められているものや真理は文化や環境の違いによっては左右されないはずです。

自分を“物差し”で測られて自身に必要なものの価値を環境によって左右されるのではなく、自分自身の“物差し”を常に持ち合わせ自分に必要なものの価値を常に見失わないでいたいと、こちらに来てから強く思うようになりました。いつまでも自分の夢や理想に忠実でいられる生き方をしていたいと思うのです。

『あなたの夢はなんですか?』

 

『それはなぜですか?』

 

『そのためになにをしていますか?』

 

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【モンゼ近郊にあるラムサール条約にも登録されるロチンバール国立公園】

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【たくさんの水鳥が集まる】

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メールアドレス     a_thousand_miles1121@yahoo.co.jp

酪農学園大学社会連携センター(2012.07.16)|お知らせ, 中間報告(青年海外協力隊), 体験談, 全件, 国際交流

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